<前回からの続き>
もちろん「自分たち」には、いろんな人がいて良い。 意見や立場が違うのは当たり前。 価値観の異なる人間がその違いを乗り越えて話し合う。 そのための運動がリスペクト秦野。 まずは、市民の声をもっと市政に反映させるという一点についてのみまとまることはできないのか?
政治を良くするには国民が政治に主体的になるしかない。 しかし、今の政治家を選んで任せるという超受動的な間接民主制には限界がある。 結局は他人のフンドシで相撲をとっているに過ぎない政治家、 自分たちのポジションを守るのが重要な政治家しか生まない。
そうではなく、もっと市民が直接的に関わっていけるような民主主義のあり方。 別に大袈裟な話じゃなくていい。 自民や共産がリベラルどうこう、保守どうこう、、、
そんな既存の考え方や古い物の見方からは決して新しいアイディアは生まれない。 もっと身近なストリート的なアイディアでいい。
例えば
1、数万人以上の署名が集まれば、新しい条例の提案ができ、最終的には住民投票で決める。
2、一億円以上のハコモノを建設する際には最低でも数百件以上のパブリックコメントを事前に必ず行う。
3、歳出(支出)によって税率を変える→自分たちのお金がどう使われているのかについてもっと直接的に関わる。
などなど、、、まだまだ勉強中。
「ブラックもホワイトもイエローも血の色はみんな同じ」 人種のるつぼであるブラジルでよく使われるセンテンス。
同じ市内でも人間は暇になると他と自分を差別化したがる。
北小と南小 秦野出身者とそれ以外 有機農業と既存の農業 専業主婦と働きながら子育てをするママさん
障害者と健常者 会派に属する政治家と無所属議員 俺とあいつ
リスペクト秦野は違って当たり前。 違うことが前提の運動です!!
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