先日の発言の取消しや質疑却下など議会運営について問い合わせが多いので一言。
「我々は、なぜ議論をするのか?」
この哲学的な問いにドイツの哲学者ヘーゲルが使用し始めた「アウフヘーベン」という言葉がある。
アウフヘーベンには、下記の二つの意味がある。
①あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと
②矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること
つまり反対や少数の意見であっても、さらなる高みや発展のために、議論することで思考を深め、全員の意識を高い段階へ引き上げる。対立・矛盾するものを否定せず、どちらも内包しながら統合していくことで、さらなる高みを目指すということ。
事実と相反しない発言を取消したり、根拠も示さず質疑を却下するのは、「高み」など目指していない、「守り」の姿勢である。
彼らは何を守りたいのか?
「NOと言えない秦野市議会」
発言の取消しで守りたいのは、過去の慣習や威厳のようなものなのか。
副市長人事の質疑却下で守りたいのは、彼らが持っている既得権なのか。
いずれにせよ、市民は生産性のない茶番劇など誰も望んでいない。
我々に求められているのは、高いレベルの議論であり、オープンで開かれた、風通しの良い市議会である。

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