同じ批判をするにしても、外国語だとはっきり言えるが、日本語だと”しこり”が残ってしまうようで言いづらい、、、
こういうご経験のある方も多いのではないだろうか?
面と向かって批判することがタブー視される日本文化。
その反面、本人がいないところでは、もはや批判ともいえないような悪口・陰口をさんざん言い放つ、、、
この日本人の二面性に、”ショック”を受ける瞬間が、地方政治の世界にいると、多々ある。
選挙も終わり、それぞれが自分の会派に仲間を一人でも多く引き込もうと、ネガティブ・キャンペーンを繰り広げている。
「伊藤さんのように波風を立てるやり方ではなく、内側から徐々に変えて行きたい」
というような趣旨のことを、お会いした新人議員数名の方に言われる。
それに対して、他人の話ではなく、自分の目でしっかり判断できるようになるまで、無所属・無会派でいることも良いのでは?と自分の意見を述べさせて頂いた。
本来、公の場で面と向かって批判し合うのが議会であり、市長と議会は対立する概念でなければ、二元代表制の意味はない。「車の両輪」という最悪の間違った比喩が流布しているが、正しくは「アクセルとブレーキ」だ。
それぞれが独立していなければ、なんの役にも立たないだけではなく、持ちつ持たれつの関係性を助長し、結局、既得権益者の利益が優先された上での市政となってしまう。
昔のように、財源に余裕はなく限られているので、こうした”馴れ合いのような関係性”を正さない限り、秦野の新しい可能性は潰されてしまう。
二期目もそろそろ始まろうとしているが、ひとりでの旅立ちとなりそうだ。
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